思いのままに、書いていたら、
すごく長くなってしまいました。

支援級の先生が、去年の4月に、
5年生に引き続き、6年生でも担任になってくれることが決まって。
「息子君を卒業式で送り出せるって決まったから、袴、買っちゃいました♪」と、
お伝えしてくれました。

卒業式の日。
昇降口で、先生の袴姿を見て、
先生に送り出してもらえる幸せを感じました。

支援級先生は、3年生の時の通常級の担任で。

その時は、私、息子の特性を知らなくて。
通常級に在籍していたのですが、

授業中に立ち歩くし、
カッとなりやすいし。

家では、優しくて面白い息子なので、
そのギャップに、親も悩んでいて。

学校でうまくいかないことが続いて。

息子が言うことを聞かない度に、
周りの先生から「ママに言うよ!」って言われ。
「息子君が、〇〇してます!今すぐ来てください!」
と、私の携帯が、朝昼晩、鳴るようになりました。

基本的に、ママ大好きな息子は、
ママに「自分が悪い」ってことを伝えられるのが、
何よりも苦痛だったと、あとから教えてくれました。

私も、携帯の表示に「〇〇小学校」って出るたびに、
ノイローゼかな・・・とおもうくらい精神的にとても辛かった。

そんな時、担任の先生が、
「発達検査受けませんか?」って言ってくれました。
(別の学校では支援級の担任をしてらしたので詳しかった。)

その言葉を保護者に伝えるのは、
実は、とっても、勇気のいることだっただろうと、思います。

保護者によっては、
「うちの子に『障がい者』のレッテルを貼るの?」って、怒り出す人もいるそうです。


『障がい』って言葉に悪い印象があったり。

それまでの人生を、
『ちゃんと』『しっかり』『みんなと同じに』って、
真面目に、一生懸命に、頑張ってきた人こそ、
『周りの子と違う』ということに対して、
苦しさを感じてしまうかもしれません。
(あくまで、想像ですが。)

当時の私は、『発達障害』という言葉に不安感はありながらも、
息子のしんどさの理由と対応を知りたかったので、
その言葉は、とてもありがたかったです。

当時、息子は8歳で、きっと、理解できるであろうと思ったこと。

息子の残念な行動は、息子自身が悪いのではなくて、
脳の仕組みで起きていたことなんだよ・・・
ということを伝えたかったので。

息子にも特性をカミングアウトしました。
息子は、その時は、「オレって、普通じゃないんだ。。。」と、泣いていました。

今となれば、「普通ってなんやねん!」って、突っ込んでしまいますし、
「そもそも、ママが普通じゃないやん!」って、言われています。笑。

そして、
支援級に在籍することにも抵抗があったみたいです。
どんなお友達が在籍しているのかも、よくわかってなかったって。
(今となれば、自分も含めて、
「ちょっと個性のあるおもしろいサイコーの仲間だ!」
って言ってますが。)

きっと
自分の在籍するであろう場所が、
どんなところか分からないから、不安だったのだと思います。

私自身も、息子が途中から在籍する学級が変わることや、
それからの生活に見通しが立たず、少し不安がありました。

発達支援センターの先生に相談し。
養護学校の教育相談の先生に相談し。

ようやく、親子共に、気持ちが固まって、
「来年度から支援級に行きたい」と伝えると。

当時の支援級の先生から、
「息子君が来ると、今落ち着いてる学級が崩れるかもしれないから」と
なぜか、拒否されてしまいました。
先生なりに、作り上げてきた学級に対して色んな思いがあったのかもしれません。


息子の居場所は、どこにもないのかな・・・と、ショックでした。

それを、担任が必死に必要性を説明してくれて。
教育相談の先生も働きかけてくれて。

4年生から支援級に在籍しました。

その時の支援級の担任は、
初めて支援級を担当する先生でした。

真剣に息子に向き合ってくれて、
特性の勉強も熱心にしてくれて。
息子も、落ち着ける居場所ができて、
親子共に、試行錯誤しつつも、落ち着いた日々を過ごしていました。

そんな4年生の10月。
交流級のお友達とトラブルがあり。
ちょっと、ハードな展開になってしまい。

精神的に厳しい日々が続きました。
息子は、「死にたい」と嘆いていたし。
私も、何度も「消えたい」って思うほどに、つらい毎日でした。

その時に、当時の支援級の先生が、
全力で守ってくださいました。

通常級のクラスの仲間が、支えてくれました。

そのおかげで、学校の対応に変化があり。
息子の特性を理解して、
色々な体制を整えてくださいました。

その支援級の先生が、他校に異動され。
5年生になって、
3年生の時の先生が支援級の担任になってくれました。

息子は、3年生の時のトラウマがあって、
(4年の時の支援級担任が好きすぎたのもあって)
なかなか素直になれなくて、反抗的な態度をとっていました。

それでも、全力でぶつかってくれて、
全力で息子のことを考えてくれて。

交流級の担任が息子を疎外するような状況が起きると、
親よりも真剣に、怒ってくれて、伝えてくださいました。

6年生になって、交流級のクラスの体制も先生も変わって。
息子が、とってもイキイキとし始めました。

息子曰く。「差別しないんだ。話をちゃんと聞いてくれる。」と。

すごく嬉しかったです。

交流級の先生には期待しない・・・と、
私の中で、あきらめていた部分があったからです。

学校が、毎月、ケース会議を開いてくださっていました。
(学校の先生達&専門家などなど、12人もの大人が、
息子について考えてくれる、本当に、感謝しかない集まりでした。)

その時の交流級でのエピソードが、
とっても息子自身を見てくれてくださっていて。

息子を、支援級からのお客さん扱いじゃなくて。
大勢の中の一人の生徒として見てくれていました。

息子は、仲間が大好きで。
友だちと関わることを、何よりも楽しみにしていて。

でも、自分が「発達障がい」だから・・・
実は、自分は、邪魔者じなんじゃないかな・・・と
不安を感じたり。

ちょっとしたことで、疎外感を抱いてしんどくなることもありました。


先週も、卒業式の練習で疲れ果てて荒れてしまっていた息子が、

「どうして、オレは、みんなと一緒のことをするだけで、
こんなに疲れてしまって、どうしようもなくなっちゃうんだろう。」
「みんなが簡単にできることが、どうしてオレにはできないんだろう。」
と、頭を抱えて泣いていました。

自分の世界だけでいっぱいいっぱいだった息子が、
成長して、少し客観的に見れるようになって、
人と違うことを知ることができて。

それが、また、自分自身のしんどさになって。
色々な葛藤あっただろうなと、
成長の喜びと、息子の気持ちを感じる辛さで、複雑な気持ちでした。

でも、それを、支えてくれたのは、やっぱり、仲間でした。
息子の居場所になってくれていて。
それは、母にとっても、おなじでした。

たくさん迷惑をかけたし、
嫌な思いもさせたこともあると思うのに、
息子の逸話を聞かせてくれたり、
『仲間』として居場所をくれました。

卒業式。入場から退場まで、
ずっと、涙が止まらなかったです。

息子が感じた居場所が、そこにあったから。

ひとりひとり、証書が渡されるたび、
その全員の背中に
「ありがとう」「おめでとう」
って気持ちを込めていました。


息子が、「最高の仲間とずっと一緒でよかった!」と。
その言葉が聞けたことが、幸せです。

最後の学活は、リモートで、見せてくれました。
(色々な演出をしてくれた学校に、心から感謝です!) 

スクリーン越しに、号泣している息子を見て、
また、涙。

そんな仲間と過ごせた時間。
本当にありがとう。

卒業式のあと、
お友達と写真をとってはしゃぐ息子を見ている時間が、幸せでした。

これからも、
きっと、色々な困難が待ち受けていると思うけれど、
たくさんの人に支えてもらって、
お友達や家族を大切にする熱い男のまま育ってほしいなと思っています。


息子へ。
卒業おめでとう。
私の息子に生まれてきてくれてありがとう。
あなたのおかげで、
たくさんのやさしさに出会えて、
そして、毎日、愉快です。

これからも、あなたらしく。
小さい幸せ見つけて生きて行こうね。